競技規則、制度の変遷と落車

落車をどう制御するかという観点で、KPK以降の競技規則、級班決定に関する制度の変遷をまとめて解釈を試みる。

変更のポイント

1983年4月
  • KPK(競輪番組改革)実施、AB2級7班 -> SAB3級9班
1988年12(?)月
  • 事故点制度導入、失格(S=3点,AB=2点)、重注(S=1.5点,AB=1点)を期の「平均」得点から減ずる(これ以前は、失格すると期の「合計」得点から10点引く)
1991年?月
  • 事故点、走注(0.2点)が加わり、各級とも失格=3点、重注=1点になる

以上の事故点制度は「続々/競輪への挑戦 当たり車券はどーやって」(北村幸治著、三恵書房、1992年)からまとめた。この時期のルール変更はインターネット上を検索しても具体的にはほとんど分からなかった。十分な資料に当たってないので間違い、抜けの恐れが多分にある。

1995年4月
  • 故意接触プレーの制限を厳しく
    • 失格になる押圧、押し上げ、2本切りを明確化
    • 危険な行為(押し合い、斜行、外柵利用の進路妨害、中割、誘導員への妨害)で失格に
  • 1レース中の全ての反則を事故点にカウント(それまでは最も重い1つのみカウント)
  • 1期(4ヶ月)の事故点9点で斡旋停止1ヶ月

以下は主にKEIRIN.JPからの情報による。詳しくはリンク先を見られたい。

2000年6月
  • 誘導員追抜き禁止ゾーンを拡大
    • 333 赤板前B -> 赤板
    • 400、500 赤板 -> 鐘

http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2000khn/06/khn20000606.html

2000年8月
  • 落車させた失格はその1回の行為を審査し1ヶ月の「あっせんをしない処置」
  • 失格のみ評価点に反映
  • 重注、走注は別に制裁(特別訓練)

http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2000khn/07/khn20000719.html

2002年4月
  • 2級5班制、B級がなくなる
  • 違反点を若干緩く改定(走注は原則違反点無し)
  • 業績点(1、2着時に競走得点に付加される点)廃止

http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2002khn/03/khn20020311-2.html

2003年1月
  • 1年3期から1年2期に変更
2004年1月
  • わかりやすさの提供
    • 最終4角の「近回り」する追い抜きを禁止
    • ライン上を内圏にする(これで3cm増えた)
    • 違反点の公開
  • 落車事故等の防止
    • 違反点改定(失格=25、重注=10、走注=2、で統一)
    • 直近4ヶ月の違反点累積が120点以上であっせん停止措置
    • エローライン
    • 誘導員追抜き地点を変更(より前で追抜き可能とした)
      • 333 赤板 -> 赤板前4角
      • 400 鐘 -> 鐘前2角
      • 500 鐘 -> 同じまま
    • 自ら落車した場合の判定の厳格化

http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2003khn/11/khn20031104.html
http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2003khn/pdf/rule.pdf
http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/common_html/ihanten.html

2008年1月
  • チャレンジレース創設、実質3層制に戻る

http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2007khn/10/news20071009_01.html

2008年9月
  • 違反点改定(失格が25->30)
  • 違反点累積による特別指導訓練を「90点以上」に一段階化

http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/2008khn/08/news20080812_03.html
http://keirin.jp/pc/dfw/portal/guest/news/common_html/ihanten_02.html <= 現在の反則に対するペナルティーがどうなっているか知るにはこれを見れば良い

落車、失格との関係

前エントリで示した落車率と失格率の時間変化のプロットを下に再掲する。これと規則、制度の変更との関係を考えてみる。

1988年末(と思われる)の事故点制度の導入で失格のペナルティーが非常に大きくなったが、なぜか1989年度の落車率はほとんど変わらず失格率だけが大幅に落ちている。その後、1994年まで落車率が大幅に低下し失格率は上がっている。単純に考えると、落車率が低くなるということは競走がおとなしくなっているということで、その結果失格も減ると思うが反対に失格は増えている。この頃は失格をしっかり取るようになりその結果、競走がおとなしくなったと言うことだろうか。

1995年度に落車、失格率とも著しく低下している。この年のルール変更が大きな影響を与えたことを示している。この頃私はよく競輪場に通っていてレースが大きく変わったのを実感した。捲りに対するブロックと競りが目に見えて少なくなった(特にA級で)。失格しやすくなったのもさることながら、重複カウントされる重注、走注による事故点が大きかったのだろう。

その後2003年度まで落車、失格率とも徐々に上がって行く。これは競走が激しくなる傾向を示していると考えられる。途中2000年にペナルティーが緩く変更されたが、2004年に再び厳しくなる方に変更される。このためかは分からないが、以後現在まで落車率の上昇は押さえられ横ばいになっている。

2004年度以降、失格率が下降しているように見える。落車率は落ちてないので「失格なき落車」が増えていることになる。競りや捲りに対するブロック、中割などの故意接触プレイによって落車が引き起こされると、それをやった者はほぼ100%失格になる。したがって、故意接触プレイによる落車は減り、それ以外の原因の落車が増えていることになる。この現象を理解するにはさらに分析が必要であり、将来のルール変更の際は十分に考慮されるべきだろう。